金沢の魅力

INTRODUCTION

現代アートの視点から伝統の大樋焼をとらえ、
幅広いフィールドで創作に挑む。

陶芸家 十一代 大樋長左衛門さん

大樋焼は金沢市で約350年前から焼き継がれている茶陶です。ろくろを使わず、手びねりで作られた温かみのある造形と趣深い褐色の飴釉が大きな特徴で、多くの茶人に愛されています。その伝統を継承するとともに、プロダクトデザインやインテリアデザイン、空間プロデュースなど、幅広い分野で活躍するのが十一代大樋長左衛門さんです。伝統を新しい創造の糧とし、アグレッシブな挑戦を続けている大樋さんに、創作にかける思いや金沢の魅力について聞きました。

大樋さんは平成23年(2011年)に文化勲章を受章された十代大樋長左衛門(現・大樋陶冶斎)氏の長男として生まれました。子どもの頃から、将来は家業を継ぐという意識があったのですか。

大樋 実は子どもの頃は家を継ぎたくない、陶芸をやりたくないと思っていたんです。というのも、金沢の伝統や父親の仕事はどれも、古くて格好悪いものと感じていたからです。ですから、中学に入ると、何とかして家から離れたい、金沢から離れたいと考えるようになり、卒業後は東京都内の高校、大学に進み、陶芸とは無縁の学生時代を送りました。

では、本格的に作陶に取り組みはじめたのはいつ頃ですか。

大樋 大学卒業後、家業と違うことに取り組んでみたいと考え、渡米してボストン大学で現代アートの勉強をしたのですが、ニューヨークで心を打たれた経験が2つありました。ひとつはある展覧会でサンタクロースの格好をした黒人の白黒写真に出会ったことです。この写真は見る人によって、例えば人種差別に対する問題提起など、さまざまな解釈の仕方があると思いませんか。一枚の写真で多くの人にいろんなことを感じさせる現代アートの素晴らしさを実感しました。もうひとつは完成したばかりの斬新な空間で、和服を着たアメリカ人がジーンズ姿の日本人にお茶を教える様子を見たときのことです。もしここに400年前の日本の茶の湯を持ち込んだら、ニューヨークで暮らしている人たちにとっては、僕が古くさいと感じていたお茶がクールな現代アートに見えるだろうって気付いたことです。つまり、同じものでも視点が変わると違ってみえるというわけです。そんな気付きがあってから、現代アートの視点で客観的に大樋焼を見られるようになると、その魅力や奥深さが感じられ、作陶に気持ちが向くようになりました。金沢に戻ってきたのは27歳のときです。

客観的な視点を持つことの重要性はどこにありますか。

大樋 やはり、しがらみや思い込みにとらわれず本質をとらえることができるという点にあるのではないでしょうか。伝統と一言で言っても、そこにも時代の流れに応じて変えていい部分と、変えてはいけない部分があると思うのですが、その判断を正しく下せるようになると思います。例えば、大樋焼で言えば、機械化せずに人の手で作る、そして一人で最初から最後までの工程を完結させる点が変えてはいけない部分です。仮にアートであれば、いいものさえできれば、機械で効率化しようが、大勢で作ろうが関係ないのですが、大樋焼のポリシーからは外れます。しかし、逆に言えば、それ以外の部分には挑戦、革新の余地が大きく残されているのです。

挑戦と言えば、大樋さんは陶芸以外にもさまざまなフィールドで活躍されています。最近の仕事で印象深かったものは何ですか。

大樋 金沢市のバス会社が北陸新幹線の最上級車両「グランクラス」の乗客が利用するのにふさわしい観光バスを作りたいという依頼があり、その監修を手がけました。「金澤プレミアムバス」というのですが、外観は金沢の街にとけ込むようワインレッドとアイボリーホワイトのツートーンカラーで、後部は漢字の「一」を筆書きしました。内部は移動中も金沢を感じてもらえるように床に石畳、窓側の手すりに金沢箔をイメージしたデザインを施すなど工夫しました。実はこれと同じ時期に、高級客船「ザ・ワールド」に同乗して乗客に金沢の魅力をプロモーションするという仕事をしたのですが、金澤プレミアムバスを初めて利用したのがこの客船の乗客でした。客船が金沢港に入港し、船を降りた際、自分がデザインしたバスが横付けされているのを見たときはうれしく涙が出ました。

日本プロバスケットボールリーグ・bjリーグに参戦している「金沢武士団(サムライズ)」のプロデュースも手がけていますね。

大樋 これはチーム名選定有識者会議の委員長に任命されたことがきっかけでした。サムライズには「サンライズ」の意味も込められているんです。金沢の伝統を感じられるような言葉でありながら、英語に聞こえれば面白いなと思って選びました。その後、僕が学生時代にバスケをやっていたこともあって、運営サイドの皆さんとも大いに盛り上がり、プロデュースに携わることになりました。ユニフォームやチームカラー、コートデザイン、選手が使う椅子などはまさにアートであり、工芸だと思います。例えば、チームのロゴデザインには加賀藩前田家の家紋である梅鉢紋、刀、金箔を取り入れました。コートデザインなどはまだまだこれからですが、チームも試合するたびに強くなっていますから、一緒に盛り上げていきたいですね。

今後の抱負を聞かせてください。

大樋 先ほど話したように、現代アートという視点から自分自身や大樋焼を見て、創作活動に取り組みたいと考えています。現代アートとは今の時代に敏感に反応し、人が手がけていない方法で表現することです。それは、いばらの道ですが、心身が疲れ果てるまで、その道を追求したいと思います。また、自己満足でなく、仕事を通して、いかに大勢の人に喜んでもらえるかが僕にとっての楽しみです。多くの人に感動を与えるような仕事に取り組んでいきたいですね。

ところで、大樋さんはどんなところに金沢の魅力を感じますか。

大樋 金沢には舞踊や邦楽、茶道、書道、香道など、さまざまな文化が生活の中に息づいていますから、住んでいると自然とそういった文化に親しむことができます。それに、例えばお茶であれば、茶碗や棗などの道具、お菓子、部屋のしつらえといった具合に、関連するさまざまな日本の文化を学ぶことができます。そういった文化の中に身を置くと、五感が素晴らしく研ぎ澄まされていきます。そして、五感をフルに使っていると、いわゆる第六感、ひらめきが降りてくるようになります。私にとってはこれが作品づくりのエッセンスになります。特にものづくりに取り組む人や文章を書いたり、絵を描いたりする人にはぴったりの街ではないでしょうか。

金沢への移住を検討している方にメッセージをお願いします。

大樋 生活の拠点を金沢に移して、東京で誰も手がけていないような野心的な仕事、実験的な仕事にチャレンジするというライフスタイルをおすすめしたいと思います。先ほども話したように金沢で五感を研ぎ澄ませ、英気を養えば、仕事に対していいインスピレーションが湧きます。それを生かして、東京や大きなマーケットのある場所で勝負するのです。もちろん、旅行でも金沢の良さを感じることができるとは思いますが、やはりここに腰を落ち着けることが大切です。それによって東京にいるときとは違う感覚、視点が身に付くようになると思いますよ。

十一代 大樋長左衛門・年雄
(じゅういちだい おおひちょうざえもん・としお)

昭和33年(1958年)、大樋陶冶斎(十代大樋長左衛門)氏の長男として金沢に生まれる。昭和56年(1981年)に玉川大学文学部芸術学科を卒業、昭和59年(1984年)にボストン大学大学院修士課程を修了 (M.F.A.)。日本伝統工芸展入選、日本陶芸展入選、日展にて会員賞、日本現代工芸美術展では内閣総理大臣賞など受賞多数。国内外で個展やワークショップを多数開催するほか、店舗等のプロデュースやデザインも手掛けている。平成28年(2016年)に十一代大樋長左衛門を襲名した。