加賀毛針の制作に携わることになったきっかけは何ですか。
目細 私は仙台出身で、高校を卒業後、地元の釣り具問屋に就職しました。そこで、目細八郎兵衛商店20代目の主人と出会い、金沢に嫁いで来たんです。主人からは事務だけやってくれればいいよと言われていたのですが、ちょうど嫁いだ年に金沢に残る伝統的な職人技を伝承する「金沢職人大学校」で加賀毛針の専門塾が開かれ、ここに主人の父である会長に連れられて行ったのがきっかけでした。職人になりたいと思っていたわけではないのですが、通っているうちに別の研修生と仲良くなったり、だんだん形になっていく過程が楽しくなったりして、気付いたら3年間のコースを修了していました。それから、事務の仕事もしながら、商品づくりにも携わるようになりました。
仕事の難しさや面白さはどんなところにありますか。
目細 1センチほどの釣り針にキジやヤマドリ、クジャクなどの羽根を、接着剤を使わず糸で巻き付け、虫の触角や足に似せていくのですが、とにかく細かな作業を要求されるところが難しいです。何度やってもうまくいかない時もありますし、目も疲れ、集中力も持たなくなりますから、2時間続けたら休憩を取るようにしています。1日頑張って30本できればいい方ですね。面白さを感じるのは、やはりきれいに仕上がった時です。私自身は釣りをしないのですが、お店に来たお客様から「よく釣れたよ」と声を掛けてもらうとうれしいですね。
店内にはブローチやピアスなどアクセサリーも並んでいますね。
目細 毛針釣りをする人が少しずつ減っていますから、何か新しい仕事をと考え、約15年前からアクセサリー作りを始めました。加賀毛針を見た女性観光客の「すごくきれいだから、これをブローチにしたら素敵じゃない」という声がヒントになりました。例えば、鳥の羽根を使ったコサージュには、毛針の技術で装飾したピンが入っているのですが、釣り針とは長さも形状も違うので、いかに加賀毛針の美しさを損なわないようにするか、神経を使いましたね。数年前には世界的なファッションブランドとして知られる「イッセイミヤケ」と共同で、イヤリングやネックレス、男性向けに蝶ネクタイを作ったこともあります。要求される形が難しく、何度もやり直しましたが、私にとって新しいチャレンジで、やりがいのある仕事でした。
今後の抱負を聞かせてください。
目細 加賀毛針には使う材料や色、糸の巻き方によって、500から600ほどの種類があります。しかも、難しさに応じて難度が3段階あり、私はまだ2番目に難しいものまでしか作ることはできません。職人になって約20年になりますが、まだまだ半人前、修行中と思っていますから、これからも一つ一つ丁寧にこつこつと仕事を続け、ゆくゆくは最も難度の高い毛針も作れるようになりたいと思っています。
ところで目細さんはどんなところに金沢の魅力を感じますか。
目細 やはり多くの伝統工芸が根付いている点でしょうか。普段から九谷焼の器を使うなど、生活の中に今も息づいているところも魅力的に感じます。他の工芸の職人さんと実演会場で一緒になることも多く、そういった皆さんの頑張っている姿には刺激を受けますね。
金沢で暮らす中で、お気に入りの場所や時間、過ごし方はありますか。
目細 自宅から近江町市場が近く、毎日のように買い物に出かけています。いつでも新鮮な旬の魚や野菜が手に入るのがうれしいですね。冬ならばコウバコガニがおすすめです。これはズワイガニのメスで値段も手ごろですし、プチプチとした食感の「外子」と濃厚な味の「内子」がおいしいんです。金沢に来て初めて食べたときには、そのおいしさにびっくりしました。金時草や源助だいこんといった加賀野菜もよく使いますよ。
金沢への移住を検討している方にメッセージをお願いします。
目細 金沢にはたくさんの伝統工芸が残っていますから、金沢に移住した際は、伝統工芸や私たち職人の仕事に興味を持ってもらえればありがたいですね。誰にでもできる仕事というわけではありませんし、向き不向きもあると思いますが、職人として仕事を手に付けたいという人にとっては大きなチャンスのある街と言えるのではないでしょうか。
目細 由佳(めぼそ ゆか)
昭和47年(1972年)、宮城県仙台市出身。地元の高校を卒業後、仙台市にある釣り具卸会社に入社。そこで金沢から修業に来ていた目細八郎兵衛商店20代目、目細勇治氏と出会い23歳で結婚し、金沢で暮らすようになる。平成9年(1997年)から金沢大学校で毛針作りを学んだことを契機に、加賀毛針職人の道を歩む。